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「忘れたとき失うもの」河北新報朝刊・寄稿コラム「微風旋風」No.1

 私は、宮城県北部の田園地帯、美里町(旧小牛田町)で魚屋を営む家に生まれ、昭和の匂いを嗅いで育った。


 父は塩釜の仕入れから帰ると、自転車にアルミ箱を積み行商へ向かう。戻ると店は夕飯の支度する客でにぎわう。行商先や常連からの注文も重なり、配達と店の客の応対で忙しくなる。


 小学生の頃から私は配達を手伝った。玄関に届けてしまい「ここは客の入口、あなたは勝手口」としかられたり、お駄賃をもらったりした。農家には通い帳を持参し、掛け売りをした。収穫後の一括返済や、新米で支払いが利いたので感謝されていた。放課後に友達と遊べないことは嫌だったが、家の役に立つことはうれしかった。


 田舎の生活を支えた小売店や商店街は、私が中学生になった頃、大型小売店の進出とともににぎわいと活気を失う。買い物籠を持った客が店の前を素通りしてゆく。父は程なく店を閉めた。


 店は街の風景だった。商店街には人情やおせっかいがあった。私の成長の軌跡は恥ずかしいほど知られていた。「これ食べてみて」と買ってもいない商品をよく頂いたものだ。昭和が終幕を迎える頃に消えていった店主の笑顔が懐かしい。


 東日本大震災の時、近くに残っていた食料品店は、余震や停電、断水の続く中、発生から数日後に店頭販売を再開した。これは食を繋ぐ心意気の表れだ。商売人の矜恃があったのだ。


 消費行動の変容や震災に耐え忍んだ店も、今回の新型コロナウイルス感染症の影響で閉店を余儀なくなれているところがある。普段もっと店に行っていればよかったなどと、身勝手な感傷や後悔が芽生える。自らがその存在を忘れた時、既に失われていたのだと気付かずに。


 消費意識が大きく変わり、利便性や効率化が優先される世の中でも、なくしてはならないものがある。老舗の食堂閉店の知らせを聞きつけた客が、報道の質問に答えていた。「もっと続けてほしかった。思い出の店だったのに」この一言が耳から離れない。


◇ 佐藤三昭(さとうみつあき) 作曲家・作家。1967年宮城県小牛田町(現美里町)生まれ。古川高卒。同町の創作和太鼓「駒の会」で邦楽を始める。01年音楽制作事務所「3Dファクトリー」を設立。国内外で活躍のほか小中学生への指導に注力する。  


河北新報朝刊・寄稿コラム「微風旋風」No.1(2020年7月2日・文化面掲載)



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