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「ツバメとわたし」河北新報朝刊・寄稿コラム「微風旋風」No.3

 

 渡り鳥のツバメは毎年同じ場所にやってくると聞く。本当にそうなら何となくうれしい。というのも昨秋にちょっとした関わりを持ったからだ。


 巣立ちから10日ほどの子ツバメ1羽が、わが家の玄関先をねぐらにしたのだ。夕方にやって来て朝早くどこかに飛んでいく。そんな日が続いた。親ツバメは日暮れまで近くの電線に止まり、子の様子を見届けてからどこかに飛び去り、残った子だけが顔を体にうずめて寝た。不思議なもので愛情が湧いた。静かにドアを開け、何度も無事を確認してみたりした。子を何羽授かったのかは分からないが、全ての子に親は同じことをしているのだろう。


 空中を飛んでいる虫を捕まえるツバメ。稲作の町では昔から害虫を食べてくれる貴重な鳥だ。天敵がいない、人の出入りが多い場所に営巣するので、商売人にとっては商売繁盛の証、「福鳥」とされてきた。玄関先に巣があると当然ふんが落ちる。その汚物を嫌って、客が寄り付かなくならないようにと店主は店先を奇麗にする。といった極めて前向きな行動を生むほどだ。


 営巣するかどうかで吉凶を占うとはすごい鳥だ。春から立夏に飛来し繁殖する。人間を信じているからだろう。だからいとおしいのかも知れない。越冬のため東南アジアへ渡る秋、子の旅立ちを見送る親のような切なさも芽生えてくる。


 では人間の子育てはどうだろうか。私も3人の子宝に恵まれた。長女は米国人と結婚、次女は親と同居しながら仕事を持つ。長男は中学生。養育と自我形成、自立と支援。私は自分の仕事に夢中で、親として責任を果たせたかどうか自信がない。子育てが過ぎてゆくと同時に、今度は親の介護がやってくる。家庭内での自身の役割がグラデーションのように移り変わってゆく。育てられ、育て、そして-。役割と立場が転換する中に今の私がある。


 今朝はツバメが家の周りでにぎやかだ。今年もわが家には巣を掛けてくれなかった。まだ私に徳が足りないということだ。あの時の子が親鳥となって戻ってきたのだろうか。元気で自由に飛んでいるのであれば、それだけで幸せだ。そもそも親とはそのようなもの。さて、玄関掃除でもするか。


河北新報朝刊・寄稿コラム「微風旋風」No.3(2020年8月27日・文化面掲載)





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